関わる人 2

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みなさんこんばんは〜。

毎度夜分の更新にて失礼します。

桜、きれいですね。

一年に一度しか咲かない花は沢山あるのに、

なんだか特別な感じがするのは

入学や卒業、人生の節目の頃に咲くからですかね。

志摩は今週の始めに台風並みの嵐だったので

すっかり散ってしまったかと思いきや、

まだ満開ではなかったようで、持ち堪えている花多々あり。

ビックリです。本当にすごい風と雨だったんですよ。

咲くのも散るのも、それぞれにふさわしい時があって

それは私が想像していたのなんかより、

ずっと正しいリズムで巡っているんだな、と思い知りました。

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さて、早速ですが前回の続きを書きたいと思います。

ついつい子供達と寝落ちしてしまってブログが進まずすみません・・・。

前回は私たちがアトリエで見て感じて来たダウン症の人たちの感性を

ものすごーく簡単に、でも一番エッセンスとなる部分をお伝えさせて頂きました。

でも、本来、こういう事はブログのような、

不特定多数の方に読んで頂く場へは書きたくはないんです。

どこかで誤解が生じるかも知れないし、もしそうなった時、

犠牲になるのはダウン症の人たちだからです。

そうも言っていられない状況があるので、書きますが、

今日書くことは文章だけでは伝わりにくい事かも知れません。

私、インタビューの受け答えもヘタクソみたいで。笑

隣で聞いてるサクマにいつも後で

「あれじゃ君の考えてる事の半分も全然伝わってないぞ。勿体無いよ。」

と叱られるんですけど、そう言われている意味も分からないって言う・・・。

でも、皆さんに正しく伝わる事を願って書きますよ!気合い!

 

さて、ダウン症の人たちが心身ともに健康でいる為にはどうしたらいいか、

という事ですが、一言で言ってしまえば、

「本人がやりたい事を優先する」もしくは

「本人がやりたくない事は極力やらせない」という事です。

 

一見、すごく単純なように見えますが、ここには大事な条件が必要になります。

・やりたい事、やりたくない事を本音で言える信頼関係が築けていること。

これは本当に大事で、案外難しいことです。

「そうは言っても生活が出来るようにさせたいので頑張らせないと・・・」

「どこまでを頑張らせていいんでしょうか?」

「明らかに怠けている時はどうしたらいいんでしょうか?」

等々、講演や個人的にお話させて頂いた時には、

必ずと言っていいほど、保護者の方から声が上がります。

分かります、分かりますよ。

子供の将来を考えたらそうも言っていられない、

自分が生きている内に出来るところまで教えてやりたい、

というご心配な親御さんのお気持ちは痛いほど分かります。

「親亡き後」についてのご相談は、未熟な私たちでさえ数えきれないほど受けて来ました。

しかもダウン症と言っても個人差が大きいので、

どこからどこまでがどう、と一概には言えないのも事実。

体力のある子、ない子、精神的に強い子、ナイーブな子、

お家の環境も含めれば十人十色ですし、

甘えの出やすいご家族の方がご判断されるのは難しいのかもしれません。

 

でもですね、私いつも思うんですけども、

ダウン症の人たちって「嘘」つかないんです。

ついたとしても可愛いもんです。

幼い子供が嘘をつかないって言うのとはちょっと違うんですよ。

嘘をつく必要のない世界に生きている、とでも言いましょうか。

これは、絶対的に相手を信じている、という事だと思うんです。

だとしたら、私たちも彼らを信じなくてはフェアじゃありません。

「今は○○をしたくない。」「寝たいよ。」「お仕事が辛いの。」etc・・・

彼らがそう言うならそうなんだと、一回全部受入れて

必ずどこかに理由があるはずだと、立ち止まる。

サボりたいだけかも知れない、でもサボりたくなるには理由があるはず。

朝寝坊したいだけかも知れない、でも朝起きられないほど疲れている日々が

続くことはダウン症の人たちにとっては酷な状況です。

頑張れば成長する、という一般論、精神論は、

ダウン症の人たちには向いていないと私は思っています。

タイプにもよりますが、それよりも、

強い人たちの世界観に彼らを寄せるよりも、

ダウン症の人たちの世界観をみんなで共有してみようよ、と思うのです。

自分たちが正しいと思うから、自分たちの価値観を伝えるのでしょう。

でも、彼らにも彼らの価値観があって、秩序があって、世界がある。

そこに一方的に自分たちのルールを押し付けるのはいささか乱暴な気がするのです。

ダウン症の人たちを信頼して、彼らの感覚に勇気を出して従ってみた時、

そこには想像以上に豊かな世界が広がっているはずです。

私たちは現場でそれを幾度となく経験してきました。

エコール、プレダウンズタウン、という13年間の実践の中で、

ううん!と唸らされる事がどれほどあったでしょうか。

でも、これは家族じゃないから出来たことなのかも知れない、と

お恥ずかしながら自分が子供を産んで初めて気がつきました。

家族にしか出来ない事と同じように、

家族では出来ないことが沢山あるんだと。

だからなんです、

「関わる人」というタイトルを付けさせて頂いたのはそういう事なんです。

有難いことにこのブログ、ご家族の方も沢山読んで下さっているようですが、

家族以外の方、日頃ダウン症の人たちと関わる方々が

どれだけ責任重大であり、大きな可能性を持っているか、

と言う事を本気で思って頂きたいのです。

自分たちの言動、想いのひとつひとつが彼らの命に直結している事を、

もっともっと自覚していただきたいのです。

私たちと一緒に彼らの持っている世界に興味を持って頂きたいのです。

そこから見えたダウン症の人たちの世界と、

いまの社会をどうすり合わせたらお互いが気持ちよく過ごせるか、

そこに知恵と労力を使って頂きたいのです。

まずは知ること。

なんの先入観も持たずに、関心を寄せること。

これは心がまっさらじゃないと出来ないことです。

アトリエのスタッフになってくれた人たちによく言われます。

「汚れた心で入れない現場ですね。」

そうさせてくれるダウン症の人たちに感謝です。

そう感じ取ってくれるスタッフ達に感謝です。

 

私たちはプライベートアトリエという形で運営しているので、

現場において「しがらみがない」と言う点では恵まれていると思います。

ダウン症の人たちのしたいように、させてあげられる環境を維持したくて、

経済的には厳しいですが法人格を取らない選択を続けてきました。

苦しい時はいつも

「小さくても良いものを」という私の母校の校訓に立ち返り、

迷った時にはダウン症の人たちに

「このお仕事どう?みんなの為になるかなあ?やめた方がいいかな?」

と直接聞きながら、大きな事も小さな事も決めて来ました。

みんなの判断はその時その時正しくて、ズバリと答えてくれて、

ああやっぱり聞いてよかったと後々思ったものです。

今は志摩にいるのでそれが出来なくて大変です。笑

だからなるべくダウン症のみんなになったつもりで判断しています。

 

ちょっと話がそれた気もしますが、

将来を案じてダウン症の人たちに無理をさせるのではなくて、

将来ダウン症の人たちを支える仲間を増やしていった方が

合理的だし、豊かな社会になるんじゃないかな、と。

アトリエはそこを目指して色々な活動をしています。

現に、アトリエを見学に来てくれていた美大生だった人たちが

今やアトリエのスタッフとなり、ダウン症の人たちというか、

もはや私たち夫婦を支えてくれています。

最初は私の両親が2人で始めたアトリエですが、

これまでスタッフとして密に関わってくれた人たちは30名近くに上りました。

様々な企業とのお仕事を通して、アトリエを応援して下さったり、

アトリエの活動を伝えて下さっている隠れ広報みたいな方々も沢山いて、笑

本当にありがたいと思います。

でも、まだまだなんです。

ダウン症の人たちの事はあんまり正しく知られていないのが現実です。

よく「みんな一緒」とか聞きますが、

違いを違いとして認識する事はとっても大切だと思っています。

物の見方も感じ方も体力も、私たちとダウン症の人たちは違うよ、

と言う事は悪い意味ではなく知っておく、

理解しておく必要はあると思います。

その上で共生出来た時、本当に意義深いというか、

ダウン症の人たちも人間らしい暮らしが出来るんじゃないかと思います。

 

さーて、今日も睡魔がやって参りました。

サクマが東京なので母ちゃん日々全力疾走です。

最後に今日の1枚。

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ご近所の93歳のお爺ちゃんが遊びに来た、の図。

なんかメキシコみたい!と思って撮りました。

歯がなくても食べられる「黒糖ういろう」を子ども達にくれました。

1歳は喋れないし、93歳は耳が遠いんですけど、

かなり真剣に交信しています。

それを観察する5歳。

異文化交流、至る所にあり。

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